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スポーツの祭典、バンクーバー冬期オリンピックが終わった。過剰なメディアの報道合戦ですっかり興ざめしてしまったが、メダル獲得の有無に拘わらず、全ての選手に「お疲れ様。そしてご苦労様」と伝えたいと思う。しかし総括だけはしっかりと行い、四年後の「ソチ」に繋げて頂きたいと思う。2月23日の朝日新聞夕刊に掲載された元スピードスケートのメダリストである「清水宏保氏」のコラムから抜粋させて頂くと「バンクーバー五輪では、JOCの役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られている。そのため選手を手塩にかけて育てたコーチやトレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆だろう」と正論を述べている。確かに日本選手団の構成を見ると、選手が94名で、役員の数が何と111名であった。メダルラッシュに沸いた韓国は選手45名、役員37名という「少数精鋭」作戦で臨み大きな成果を上げた。日本には「船頭多くして船山に登る」という諺がある。指導する人が多過ぎると、かえって統率がとれず、意に反した方向に物事が進んでいくことと言う意味だが、なぜこんなに多勢の役員が行く必要があるのか、JOCには説明責任があるのではないか。あれでも指導する人が少なかったから「腰パン」のような問題が起きてしまったとでも強弁するのだろうか。確かに日本のスポーツ予算は極端に少ない。しかしその背景に強化費の予算配分の不透明さを指摘する関係者も多い。強化費の大幅な増額と、その配分が競技団体ではなく、チームや個人に渡るような制度改革が早急に必要であろう。ロシアではバンクーバーでの不甲斐ない成績にメドべージェフ大統領が「責任者は辞表を出すべきだ」と述べている。JOCには現地入りした役員の名前と経費を是非とも公開して頂きたいと思う。(了)


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「出処進退」とは「官職や地位にとどまっていることと、辞めて退くこと。身の振り方や身の処し方。また、世に出て仕えることと、退いて民間にあること。仕官と在野」と四字熟語の解説にある。塩田潮氏の著である「出処進退の研究」からも抜粋したい。「いつどんな形で政権を手放したかという退陣劇にも、その政治家の本質と人間性が凝縮されて表れ、その決断は正にドラマであるからだ。最高権力を目指す者たちの闘いであり、その座を手放すかどうかは複雑で強烈な内的葛藤であろう。政治家の生き方や哲学だけでなく、利害、損得、計算、思惑、好き嫌いという感情も織り交ぜた判断である」と書かれている。さて、そこで小沢幹事長だ。「検察当局の公平公正な捜査で、不正なカネを受け取っていないというが明確になった」と記者会見で発言、更に「ここ一ヶ月以上にわたり、小沢一郎は不正なお金を受け取っている、けしからん人物であるという報道が続いた」と指摘し「私の願いは、小沢一郎は不正な献金を受け取っていなかった、潔白だったという報道を続けて頂き、その後に世論調査をして頂きたい」と語った。幹事長辞任を求める声が7割にも上った世論調査を受けての発言である。東京地検特捜部の常套手段である「リーク」を織り交ぜた世論形成、いわゆる「風を吹かす」が奏功したと元検事が穿った解説をしていたが、秘書三人が起訴され、依然として不透明なカネの出し入れが指摘されている以上、簡単に世論が変わるとは思えないのだ。現在は民主党の幹事長であるが、小沢一郎という傑出した政治家の土壌を築いたのは自民党の時代だ。小沢氏の政治家としての行動様式は、幾多の政党の変遷を経ても、旧態依然とした自民党的なものである。先の総選挙で国民は「自民党的政治手法」を否定し、政権交代の道を選択した。華々しくデビューした鳩山政権がこれほど短期間に国民の期待を裏切るとは誰が予想したであろうか。このまま今の状態を続ければ政権与党としての管理能力と代表の統治能力が問われ、国民の民主党を見る目が、期待から絶望へと向かうことは誰でも気づいている筈だ。物言えば唇寒しという雰囲気が党内に蔓延しているのであれば、もはや民主的な政党とは言えないし、派閥のような集団を形成するなら、悪しき先祖返りとしか言いようが無い。今ならまだ間に合う。「頑張って下さいとは言っていない」ではなく、「党のために一度退いて下さい」と言うべきだ。私は個人的には小沢幹事長を信じたいし、党にとって欠くことの出来ない存在であると思っている。しかし大局的な観点から見れば、今は退くべきだと思う。何より小沢幹事長自身が内的葛藤の最中にあると推察するのだが、党の危機は代表が仕切るのが本筋である。この問題は時間を掛ければ掛けるほど傷が深くなってしまう。鳩山総理は党代表として率直に小沢幹事長と向き合い胸襟を開いて話し合うべきである。ツートップが党の存在を脅かしていることを念頭に、ご自身の問題も含め、鳩山由紀夫という政治家の英断を期待したい。                (了)


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西半球で最も貧しい国、国民の80%が自給の為に、小規模な農業で生計を立てている。それがハイチ共和国だ。だいぶ以前に大ヒットしたアレックスヘンリー原作の「ルーツ」という番組があったが、主人公のクンタキンテがアフリカから奴隷としてアメリカに連行され、苦難の人生を歩みながら奴隷解放により自由の身となるというストーリーだったと思う。正にハイチの歴史は「ルーツ」と同じように植民地時代にアフリカから奴隷として連行されてきた黒人達によって形成された。ハイチの政治は軍事独裁政権を経て1804年の独立以来混乱が続いており「ハイチ解放再建革命戦線」の蜂起など、反政府武装勢力との内戦などもあり、治安は非常に悪化しているようだ。国連はハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)を設立し、治安回復の活動を展開していた。このような状況下で大規模地震は起きたのである。ハイチに展開していた国連のPKO要員数百名も犠牲になったと伝えられており、国連史上最悪の事態となる。この災害に対して国際社会の反応は早かった。アメリカ、中国、韓国、台湾、イギリスなどは我先にと救助隊を派遣した。それにひきかえ日本は「状況を把握してから」と強調し、14日の午後に支援策を発表するというお粗末な対応であった。民主党から派遣された現地調査団の報告にも「人命救助にあたる国際緊急援助隊の救助チームを即座に派遣すべきだった」と指摘し、日本政府の緊急援助に問題があったと指摘している。阪神淡路大震災を経験した国とは思えない反応の鈍さだが、その後にPKOに自衛隊の施設部隊を派遣することを「基本政策閣僚委員会」で即決したことで相殺したいと思う。しかし、委員会の席上で福島瑞穂社民党党首(少子化担当大臣)が「PKO5原則から外れる状況になれば即時に撤退する。現地での摩擦回避の為、事前に自衛隊員の研修を徹底する」という条件を提示したと言うではないか。日本の人道的復興支援に従事する自衛隊は国連のハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の枠組みに参加するのであり、独自の支援活動を展開する訳では無い。つまり日本側の都合で勝手に撤退とかミッションの停止を行うことは不可能であり、もしそんな事態になれば国際社会から大顰蹙を買うことは明らかである。国際貢献とは国の威信を賭けて行うものである。今度の災害派遣では韓国のように「ハイチでの活動の成果が我が国を守銭奴国家という蔑称からチェンジさせる機会だ」と国のイメージチェンジのチャンスとして捉えている国もあるほどだ。頑ななイデオロギーを振りかざす偉大なる党首様に、我が国を代表して崇高な任務に従事する大切な自衛隊員の活動を制限させてはならない。本格的な春が訪れる前に、下駄の雪は掃除して欲しいと思うのだが。        (了)


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皆様、新年明けましておめでとうございます。今年が皆様にとって素晴らしい年になることを祈念申し上げます。さて、国会が何時始まるか定かではありませんが、問題山積の中、波乱のスタートとなることでしょう。予算を成立させ、参議院選挙夏の陣に臨むという流れですが、一波乱も二波乱もあると思います。国民の将来への不安感は「漠然」から「必然」に変わってきています。景気の回復こそが何よりも望まれています。優先順位を見失うことなく、政策に反映すべきです。それには「決断力」しか無いと思うのですが…


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 国会事務所は本日からお休みさせて頂きます。今年1年大変御世話になりました。政権交代という歴史的な年でしたが、来年は更に激動の1年となるでしょう。多くを申し上げる積もりはございませんが、「進退」という言葉が来年のキーワードになると思います。引き際の潔さが見事であればあるほど、人としての生き様が評価されると思いますし、そのタイミングを逸すると、悔いを残す惨めな人生を歩むことになるでしょう。未曾有の経済不況の中、生活者の目線を持つ指導者が必要です。参議院選挙を控え、待った無しの状況であると私は思います。貧しくて困ることを「貧困」と言います。経験した者にしか、貧困は理解できないのです。国会事務所は来年1月4日からです。皆様良い年を迎えて下さい。有り難うございました。


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久しぶりに見応えのあるドラマに出会えた。NHK「坂の上の雲」だ。司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、明治という時代を駆け抜けた偉人達の青春時代を活き活きと描いた秀作だ。日本人としての威厳と誇りを、このドラマは現代人に問いかけている。第二次大戦敗戦から64年、平和呆けと国全体の緊張感の欠如から、三流国家への道を着実に歩んでいることに、明治という時代、いわんや日清・日露戦争を生き抜いた先人達は黄泉の地からどう見ているのだろうか。このドラマの第1話と第3話において、主人公である秋山真之の父「秋山久敬」は、次のような台詞を二度に亘って言った。「古今の英雄、豪傑は皆貧乏の中から生まれた。親が偉そうだと子はようならぬ。食うだけは食わせてやる。それ以外のことは自分で何とかおし」と。また、第3話では、日清戦争に突入やむなしという緊迫した状況下で「山県有朋」が「伊藤博文」に対し「この国の将来は伊藤博文総理大臣の決断にかかっている」という台詞もあった。何が言いたいかは敢えて言わない。明治の志士に思いを馳せ、先人達の生き様に、ただひたすら敬意を表するのみである。


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「陳情改革の意義と地方との関係」について、参議院の高嶋幹事長が記者会見で発言されたので、参考までに原文のまま紹介したい。新聞記者の「各種団体や地方団体にとって、陳情の改革は非常に大きな影響を受けると思われるので、改めて幹事長の言葉として、その意義をお聞きしたい」という質問に対しての発言。「皆さんも、ずっと今までのパターンに馴染んできたから、頭の転換、意識の転換が全然出来ていない。そういう類の陳情をしたりすることが、各議員、各省庁がいろいろ結びつく利益誘導型の政治、政官業の癒着の政治を生み出す大きな原因の一つだった。そういうことを無くそうというのが我々の基本的主張だ。それぞれの議員が要請を受けることは結構だし、県全体のものについては県連で受ける。それを組織と企業団体がメインになって受け取って、各副幹事長が国対の副委員長、すなわち各委員会の筆頭理事と相談する。そういう中で各地域の、あるいはいろいろな団体の要請を、政務三役に対し、党として提案する。党としてこのような要請は受けられないというものもあるかも知れないし、可能なら実現してもらいたいと思うこともあるだろう。個々のことについては、国対の副委員長が筆頭を兼ね、各省の政策会議にも入っています。要請、陳情の文書を持って皆さんがあちこち回ることを、きちんと筋道立てた形にしよう、というだけの話だ。皆さんも、政調と政府という、使い分けの頭から抜けきらない。両方でやりとりしているけれども、所詮役人の手のひらの上だった。今度は役人に直接陳情したりしない。政府でも徹底してもらう。ただ、知事であれ何であれ、党として「これは大臣あるいは副大臣に会って貰ったほうがいい」と思えばそうするから、不都合は何もない。個人的あるいは族議員的な癒着の構造を無くそう、その為にはオープンですっきりした形にしよう、という意味だと思います。」以上が会見の内容だが、入り口の説明が不足しているように感じる。窓口を一本化し、場所と人物を特定してあげなければ不親切と思われても仕方あるまい。党の方針や良し。だからこそ、具体的な方法を早く、親切に明示すべきであろう。(了)


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参勤交代とは、江戸幕府が諸大名に課した義務で、一年おきに領国から江戸に出て幕府に勤務する制度であった。権力の中央集権化をより強固なものにする為の制度であり、江戸屋敷を構えさせ、人質として正室を住まわせていた藩もあった。戦後の日本の政治手法もこれと良く似ている。江戸が東京になり、幕府が政府と名称を変え、藩が都道府県となり、江戸城が国会となり、そして年貢が税金となった。税金を政府に納め、補助金という名目で再配分してもらう為に、都道府県は東京事務所を構え、陳情と要望活動を国会に繰り返し行って来た。自民党の時代は、議員が陳情の種類により族議員を構成し、陳情先の省庁に陳情団を案内し、官僚と面会させ、予算獲得のアリバイ作りを巧妙に行ってきた。政官癒着の温床が生まれるのは必然だった。こうしたプチ参勤交代は政権が代わっても続いている。地方自治体の長や地方議員に政権が代わったら、陳情の仕組みも変わる筈という意識が余りにも希薄であるように感じた。最も陳情や要望の仕組みがドラスティックに変わるという方針を明確に示さなかった民主党の側にこそ、より重い責任があることは言を待たない。早く明確な仕組みを提示し、混乱が生じないようにすべきである。議員会館のダストシュートには各県からの要望書や陳情書が大量の名刺と共に捨てられている。紙の無駄と言うしかない。このエコに反する上京しての一斉行動にどれ程の労力と資金が掛かっていることだろう。おらが故郷の国会議員を与野党くまなく廻り、要望書と陳情書に名刺を添えて「一つ宜しくお願いします」の常套句。彼らに罪は無いにしろ、いい加減に意識改革を促したい。夜の宴会がメインはご愛敬としても、費用対効果を考える時期だと思う。年末の議員会館での恒例行事で見慣れた風景ではあるが、プチ参勤交代が消える日は案外近いのかも知れない。プチ参勤交代と多少意味合いは違うが、全国の各種団体の集会も見直す時期だ。北方問題や拉致問題などは例外だが、例えば今日付で案内が来た「全国治水期成同盟会連合会」などはその典型だと思う。全国動員で砂防会館で行われる毎年恒例の集会なのだが、会長は自民党の元参議院議員が務めており、去年までは国交省の役人を招き、出席した国会議員を紹介するというマンネリぶりだった。流石に今回は国交省の挨拶は式次第から消えているが、砂防会館に陣取るこうした団体の集会にも変化が現れることを期待したい。このような集会は治水に限らず無数に存在する。その存在こそが霞ヶ関支配の象徴なのである。期成同盟こそ正に官をのさばらせる寄生同盟であることを知るべきであろう。(了)


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国連や各国首脳とのトップ会談など、鳩山総理の外交デビューが始まった。自分の言葉で話すことで説得力がより増すことを国民は目の当たりにした筈だ。特に各国首脳に直接呼びかけた「広島、長崎を是非訪れて頂きたい、そしてご自身の目で確認して頂きたい」という「核廃絶宣言」は、世界で唯一の被爆国であるという真実味を伴い、世界の礼賛を浴びたのである。それに引き替え、歴代の自民党総理は、外務省の用意した原稿を何の疑いも持たずに棒読みし、不必要なアドリブを入れては世界の失笑を買っていた。宮澤総理以降は外務省のマリオネットであったことがはかなくも立証された形だ。在外日本大使館のやりたい放題に終止符が打たれることを期待したい。さて今、国会の議員会館は新任大臣の挨拶廻りや新人代議士の名刺配りが散見される程度で、極めて粛としている。そんな中、落選した議員の秘書さん達が履歴書を手に、何らかの伝手を頼りに必死に就職活動をしている。自民党の議席減は181だから、公設秘書さんだけでも単純に543人が瞬時にして職を失ったことになる。私設秘書さんを加えれば、約1000人もの方が路頭に迷っているのだ。今、自民党の総裁選挙が行われている。確か物事には優先順位というものが在る筈だ。野党第一党の代表を選出するのも大事だろうが、自民党を構成してきた代議士を陰に日向に支えてきた秘書さん達の就職支援こそを優先すべきではないのか。鳩山総理の座右の銘は「友愛」である。自民党議員の元秘書であっても、国会の仕組みに精通し、即戦力となる優秀な秘書さんを、民主党は積極的に採用している。55年体制でもあるまいし、敵だ味方だと言っている場合では無い。人材こそ宝である。秘書さん達にとっても「生活が第一」なのだ。前々回の郵政選挙では民主党が大敗し、多くの優秀な秘書が路頭に迷った。その際、自民党の大いなるイエスマンこと武部勤幹事長は「民主党の秘書は絶対採用するな」と通達した。何と器の小さな人間だろうか。正に「達して驕らず貧して窮せず」だ。不用意な一言が元自民党秘書さん達の再就職の障害になっていたとしたら、その責任は極めて重い。総裁を選出する前に、自分自身の言動を相殺するのが先ではないのか。秘書さん達の就職先が1日も早く決まることを願って止まない。(了)


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長妻昭新大臣が厚生労働省の玄関に現れると、集まった職員達からの歓迎の拍手は全く無かった。大臣就任挨拶の中で「厚生労働省の膿を出す」と言った新大臣への精一杯の抵抗なのだろう。厚労省の所管する分野は多岐に亘る。「ミスター年金」の新大臣には、消えた年金以外にも新型インフルエンザ対策、雇用対策、後期高齢者医療制度等々、課題山積である。腐臭漂う巨大な省の膿を出すのは大変な作業となるだろう。しかし敵を作るのは簡単なことだが、四面楚歌になっては何も前進しない。厚生労働省の中にも、省の現状や将来を憂えている人材は必ず居る筈だ。人材を発掘し省を更生させて頂きたいものだ。長妻新大臣に期待してやまない。          (了)