
1978
鹿児島県立串良商業高校卒業
大阪のスーパーへ就職する
1980
結婚を機に故郷鹿児島へ戻る
兄が経営する保育園で幼児教育に携わる
1988
弁当屋「ホットランチ亭」開店
1995
居酒屋「いけのめだか」開店
2002
三女さくらと改造マイクロバスで全国を遠征
2004
鹿児島県有明町に全寮制ゴルフ院外活動
「さくらゴルフアカデミー」を開設
2005 4月
「ライフカードレディス」良郎のキャディでさくら初優勝を飾る
2006 11月
「LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ
初メジャー大会でさくら優勝(良郎のキャディ)
2007 ベストファーザー賞受賞
第21回参議院議員選挙比例区で当選(211,829票)

子どもの頃から家の手伝いをさせられていました。学校から帰ると、まき割り、風呂焚き、家畜の世話。
ガキ大将でしたね。
家が貧しかったので、中学時代からアルバイトをしていました。
電柱堀りや木材運び。何でもやりましたよ。
中2のときに父が他界し、「働こう」と思ったのですが、母親が「高校くらいは出ろ」と強く言うので、串良商業高校に行きました。

最初の就職は、学校の推薦で大阪のスーパー。鮮魚売り場担当で、面白くなかった。
学校なんて「いい加減なものだ」と思いました。
その後、20歳で結婚し、鹿児島に戻り、兄の保育園を手伝いました。 「子どもはみんな天才なんだ」と実感した数年間でした。
それから保険の営業、肉体労働など職を転々。
大手弁当屋チェーン店の店長になったのが28歳。
「これだ」と思って、自分で「ホットランチ亭」という弁当屋を開業したんです。
これが当たって、10店舗まで拡大できました。

長女が生まれたのは22歳、次女は23歳。三女のさくらは25歳のときの子どもです。
3人ともプロゴルファーにしようと思って育てました。
でも、弁当屋の家計で3人の練習代を出すのは正直きつかった。
そこで、33歳のときに自前でゴルフ練習所を作ったんです。
私がブルドーザーで山を崩し、子供たちにも手伝わせました。
ウチはいつも家族が一体です。その頃、居酒屋も始めました。

ジュニアのタイトルを総ナメにしたさくらが、プロアマの試合に出るようになったのは高校3年生の頃。交通費や宿泊代を浮かせるためにマイクロバスをキャンピングカーに改造して、二人三脚で転戦しました。
2人で大きな夢を追いかける旅でした。
さくらのプロテスト合格は2004年で私が44歳のとき。
長女は2003年にプロゴルファーになりました。さくらの初優勝は2005年の「ライフカードレディス」。あの喜びは忘れられません。

さくらが有名になってから、私にも子育ての講演依頼が来るようになりました。最近はタレント業のほか、さくらゴルフアカデミーという施設を作って、ゴルフを通じた青少年育成に力を注いでいます。
内閣総理大臣認可の社団法人日本青少年育成協会のアドバイザーもやらせていただき、不登校の子どもたちのための施設作りなどにも協力しています。







